- text and edit by
- 増渕 健太
“空間”という言葉
「ここ良い空間だよね。」「なにもない空間だ。」「〇〇な空間にしたい!」…
普段私たちは“空間”という言葉をごく自然に使っていると思います。
しかし、“空間”自体を説明して欲しいと言われたら意外と難しかったり、言葉にしづらかったりしませんか?
乃村工藝社は、そんな“空間”を創造し活性化し続け130年以上の歴史があります。
社員も“空間”という言葉を日常的に使い、それが当たり前のように伝わり、お互いにイメージを共有しているのですが、いざ聞かれるとなかなか説明に困ったりすると思います。
“空間”って何?どんな定義?どんな概念?
今回、この“空間”というものの正体を、“空間”と向き合う乃村工藝社のプランナーである僕自身の経験と視点を軸に、少し考察してみようと思います。
“空間”とは?“空間”の定義を探ってみる
まずは辞書に聞いてみた
言葉を考察する以上、まずは辞書です。
“空間”という言葉はいろんな分野で色んな意味を持つのですが、一般的なものとしては、
くう‐かん【空間】
1.物体が存在しない、相当に広がりのある部分。あいている所。「ビル街の―」
※広辞苑第4版、岩波書店より
とありました。
大雑把に言うと「なにもないところ」ということでしょうか。
そう考えると実は冒頭の「なにもない空間」という言い方は「頭痛が痛い」と同じ重言的な表現になっていたのですね。
「なにもないところ」を創る
↑乃村工藝社オフィス「RE/SP2(リセットスペース2)」
なるほど、確かに“空間”と呼んでいる部分自体には「なにもない」と言えます。
振り返ると我々が実際に施工しているのは床、壁、天井、家具、什器等のいわゆる「内装」や「インテリア」などの質量を持ち、形あるものです。“空間”はそういったものを使って“間接的に構成”して創り出しているものだと言えます。
つまり、“空間を創造”はしているのだけど“空間を施工”しているわけではない、ということですね。
身近な「なにもないところ」
少し建築内装領域から離れて考えてみましょう。
この「なにもないところ」について考えた時、ふと中高生時代に母校の大先輩として紹介された、養老孟司先生の「からだを読む」という書籍の冒頭を思い出しました。
「口と肛門を解剖してみよ」
もし学生に死体を与えてこういう問題を出したとする。どうなるか。
もちろん、解剖できない。口や肛門に、実体はないからである。
(中略)
たしかにそこにはなにか「ある」のだが、さて、
「そこだけ取り出してみろ」
といわれると、あらためて考えてしまうのではないか。
※『からだを読む』養老孟司:ちくま新書
ちなみに、解剖学では「口」ではなく「唇」という用語を使うそうです。
これは非常に“空間”と「内装」の関係に似ていますね。
確かにそこに「ある」と思えるのに実体としては「なにもない」。
これは“空間”の考え方に近そうです。
“空間”の概念から考えるケーススタディ
何となく“空間”の定義を振り返ったところで、ここからは少し“空間”の概念について、いくつかの事例と検証から掘り下げてみたいと思います。
他分野から“空間”のヒントを得る
世の中には「カナヅチ」と「トンカチ」のように、同じものや似たものを指しながらも違う現場では違う呼び方をするものがあります。
その理由のひとつに、同じものでも使う場面や使う人が違うから、ということがあると思います。こういった視点の違う双方を見比べる時、何か見えてくるものがあります。
“空間”におけるその一例として、陶芸分野における「見込み」という概念があります。
画像提供:森悠紀子(陶芸作家) https://www.instagram.com/yukiko_mori.ceramic_works/
↑この「見込み」を教えてくれた友人。僕も愛用させて頂いている、素敵な作家さんです。
「見込み」は、器の内側の部分、食べ物や飲み物を入れるところを指す言葉です。
器の「用途そのもの」となる場所と言えます。
面白いのが、同じ器の壁部分であるのに、外側は「胴」や「腰」という全く別の呼び方になる所です。
陶芸の世界では器によって分けられた内側と外側を明確に区別しているようです。
見込みという言葉の由来は所説ありそうですが、デジタル大辞泉には「茶席で茶碗拝見の時、まず内部をのぞき込むところから」と書いてあります。
つまり、このケースではものの状態ではなく「人の行動」が名前の由来になったわけですね。
どこからどこまでが“空間”なのか?
さて、今度は定義や言葉から少し離れ、実際に「これは空間である」と認識する範囲について考えてみます。
Q:どこまでが“空間”だと思いますか?
皆さんにとって、どこまでが“空間”でしょうか?
こう見ると結構難しいですよね。おそらく③~④あたりから怪しくなってきて、割と人によって意見が分かれるのではないでしょうか?
ちなみに、個人的には「これ、全部“空間”かもな」と思いました。
その理由は、ここまでの話の中で僕が考え至った「“空間”の正体」がそう思わせたからです。
僕が考える“空間”の正体
“空間”ありき、ではない
今回様々な角度から“空間”という概念を見つめ、様々な考え方が出てきました。
色々な見方がありましたが、改めて振り返ってみると、“空間”というものを捉える上で欠かせない存在に気が付きました。
それは、「人」の存在です。
「内装やインテリア」など「人が使う」ために創られる。
「なにもない」のにそこに「ある」。
「人の行動」からつけられた「なにもない」部分の名前。
どこまでが“空間”なのか、曖昧で「人によって違う」。
これらはすべて「人が観測する」ことから生まれていると言えます。
人が観測したからこそ、“空間”というラベルが貼られ、実体が「ない」ものなのに「ある」と“認識”された、というわけです。
そうなると“空間”という概念は物理的な定義ではなく“人”ありきの概念。
つまり、“空間”を人が観測したのではなく、「人の認識が“空間”を生んだ」という方が正しいのではないでしょうか。
“空間”は「人」により「人」のために創られた「人」が関わるあらゆる場所のことを指す。
これが、今回の考察から導き出した“空間”の正体。その1つの仮説です。
結論:“空間”の正体は、“人が認識した、すべての場所”である
乃村工藝社の理念と“空間”の本質
冒頭にも少し紹介しましたが、乃村工藝社は“空間”の「創造と活性化」を事業の軸としています。
多くは建築、内装、インテリア、展示…など物理的な世界で“空間”を創造していますが、しかしそればかりではありません。
例えばモニターの中にある映像やコンテンツ、演出、施設の名前やコンセプト、イベントや運営、コミュニケーション…。
他にも数多くの「実体のないものや、目に見えないもの」を創り、場を「活性化」しています。
このように多種多様な価値をアウトプットしていますが、我々が創っているものの正体は、「人に関わるすべて」ということなのだと思います。
そんなことを考えていると、ふと、乃村工藝社の経営理念を思い出しました。
われわれは、人間尊重に立脚し
新しい価値の創造によって
豊かな人間環境づくりに貢献する
先人たちが膨大な活動と挑戦の中で導き出したこの言葉。
改めて読んでみると、これこそ我々にとっての「“空間”の正体」なのかもしれませんね。
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“面白い”の本質を考える。